60歳のツアーを終え....この先は何処へ。

演奏活動を本格的に始めて25周年、60歳(還暦)になった節目に、自分の(現在)やれることを全てやってみようと思いました。

今年は6月中旬に来日して11月中旬まで、浜離宮朝日ホールでの記念リサイタル、Steve Gadd&EddieGomezとのバンドツアー、夫リチャードとのデュオコンサート、オーケストラとのマリンバコンチェルトと様々なスタイルで演奏しました。全17公演(1日2公演含む)




先ずは、この私のヴィジョンを成功に導いてくださったプレゼンターの皆様方に心からの感謝を申し上げます。
又ご来場頂きました皆様からも沢山のお祝いを戴き大感謝でした。

還暦記念CD(限定100枚)をご購入して下さった皆様方にも感謝。
4500円で販売させて頂き、全てあっというまに完売しました。もう在庫なし!
このスペシャルCDアルバムはこれっきりです。
(この録音音源は来年正式にリリースする予定です。)

皆様、有難うございました。


(10月7日Bandツアー最終日ビルボードライブ東京のjaz'in誌レポート)




(挟間美帆氏に書き下ろして頂いたコンチェルトも茂木大輔&廉太郎室内オケと共に
熊本と大分(竹田市)で日本初演しました。)







*11月10日熊本交響楽団との協演が今回来日ツアー最後の演奏でした。

(BACHシャコンヌを弦楽合奏と)



      (ビル・ダグラス作曲マリンバ協奏曲)





さあ!これからは何に向かって進むのか?

実は、もはやこれまでか?と思いながら、MA州の自宅に帰宅してからの3週間...
ボォ〜と過ごしていました。

自分の内では、今年の60歳記念来日ツアーが終わったら、もう演奏活動をしなくても良いかな?とか、SteveGaddやEddieGomezとのツアーも最後だと思ってました。

自分の才能は己自身が一番わかっているので、これまでだよね?......

マリンバでどれだけやっても、なかなかメインストリームには出ていけないということも理解しているし、そろそろ夫のケアをしながら静かにMA州の自宅で過ごしていくのも良いかな?
ちっちゃな私が演奏するより、世界遺産だと思う夫の演奏活動を続ける補佐をすることの方が大事だと.....(これはいつも感じている事。)

そういう事を思いながら悶々と過ごしていたのです。

そんな時に、娘のブログを発見して、
「母のこと」という投稿があったのでこそっと読んでしまいました。

9月24日開催した浜離宮朝日ホールでのリサイタル翌日に綴ったブログみたいです。
(勝手に載せたと怒られると思うので、文章だけコピーして備忘録として残します。)


母のこと

2024年9月25日 04:34
私の母は、ちょっと変わったひと。田舎の小学校の授業参観に、アニエスべーの革ジャンを着てくるし、自薦で娘の音楽会の指導を申し出て、熱中しすぎた結果、クラスみんなが楽しみにしていた体育の時間を潰しちゃったこともある(みんなごめん)。娘の大学院合格には「悔しい、私は何者にもなっていないのに」と号泣したし、娘の結婚式では何よりも自分の一張羅にこだわった。そんなひと。

そんな母は幼少期から音楽をしていて、地元では少し「上手な子」で有名だった。でも田舎なのでごくごく一般的に就職し、25歳頃までは小学校の音楽の講師をしていた。それが、たまたま選ばれて行った海外研修で覚醒し、35歳で演奏家としてデビュー。私の高校進学と同時に家を出て、43歳ごろから米ニューヨークに移住した。これまでに10回ほど、カーネギーホールで演奏したし、夢に見るようなアーティストとの共演を果たした。

そしてその母が昨日、デビュー25周年、60歳還暦記念のリサイタルをした。

小さい頃は「娘が目の前にいると集中できないから」と客席から移動を強いるくらいだったのに、昨日私に用意された席は、ステージ正面の、どこよりも母がよく見える場所。

還暦の真っ赤なドレスを着て、真正面にスポットライトを浴び、18分のバッハソロを演奏する母の姿は、手前味噌ながら圧巻だった。

母が生まれ育ったのは、代々続くような音楽一家ではないし、高い楽器を幼少期から与えてくれるような恵まれた環境でもなかった。むしろ、どちらかというと困窮に分類される家で、音楽を自分の希望や資産として、音楽を磨いて生きていくために thriveしてきた。

そんな母を、尊重できたときばかりではなかったし、母として受け入れるのにはたくさんの時間がかかった。昨日夫から「お母さんはあなたのコンプレックスみたいなもんだね」と言われたが、ほんとにそう。大好きなのに、大嫌いになりたいときもあった。

「私は絶対に母のようにならない」と思ったことはたくさんあるし、「テレビで "良い母”とされるようなお母さんが欲しい」と思ったこともある。過去形で書いているけど、今も母に対する小言は絶えない。

でも、昨日の母を見届けて、「私は最高に面白い人間と、母と娘という関係で出会ったんだ」と思った。

リサイタルという場でも、上手くいかない演奏には「悔しい」とそのまま表情に出し、共演者に「SORRY!」という(客席まで聞こえる声で)。

満足のいく演奏や客席の盛り上がりには子どものように喜び、誰が見ても胸いっぱいになっていることが分かる。

ああ、母はいつも母だ。
自分であることを、そしてその人生を、誰よりも母自身が楽しんでいる。

母は田舎で生まれ、他と何も変わらないように結婚し、私を産んだ。
そのあと、少し有名になり、時に妬みや家族への罪悪感を感じながらも、望むものがあれば何をも惜しまず追求した。苦境に直面しても自分の欲しいものを見失わずに立ち上がった。

そして、海外へ飛び出し、目の前に広がるとっても大きな世界を楽しんだ。何より、人生で起きたすべての出来事を、誰でもない自分のためにやり遂げてきた。

すごいなあ。

ようやく母を誇れるようになってきた。

ようやく母の生き方を愛せるようになってきた。
娘という立場で、母の人生のWitnesserとなることは、とても素晴らしいことに思えてきた。

私にとっても特別な母の還暦。

お母さん
デビュー25周年、60歳還暦、おめでとう。
(と言っても、母にはこのブログのことは話していない🤭)

彼女はいつも私がGive Upする時に勇気をくれます。
以前、リチャードと再婚した時に、一度だけ「私は演奏家辞めて妻として生きようかな?」と口に出した事がありました。その時、娘は泣きながら怒り、私に『これまでどれだけ我慢して支えて来たと思ってるの?......』と私に真剣に訴えました。その後は思い直して、恥ずかしくないような演奏をする為に必死で練習、研鑽したのです。

今回も又しかり....娘からしっかり励まされました。

娘よ!有難う!

(しかし、こんな変な母親だったとは自分では全く気がついてなかったので、
我ながら、あっぱれ!笑)



(9月24日浜離宮朝日ホール本番時の写真)








(今回は素晴らしきコロラトゥーラ歌手・田中彩子さんと2回も共演できました。チックのクリスタルサイレンスは彼女の声にピッタリだと閃き依頼したのです。)











来日の最後は娘と2人で武満徹さんが住んでたMIYOTAへ1泊旅行しました。一番楽しかった!










*先日、89歳の童話作家角野栄子さんのドキュメント映画を観て感動。
カラフルな凄く可愛い素敵なファッションに身を包み、
カラフルなセンス溢れる内装の家の中で、生き生きと自分の仕事を全うされている姿は圧巻!話される時の凛とした目と説得力がある深い言葉にも随時納得させられました。

私は角野さんにかなりインスパイアさせられました!笑

私はプロのマリンバ奏者としてデビューして、たかが25年。
やっと自分の音が出せるようになったところ。。。
夫リチャードと一緒になったのも音楽に導かれたもの。。。

まだまだマリンバを弾き続きたい.....と再び心からそう思うようになって来たので、
このブログを綴ることにしました。

(これからの目標!)
先ずは来年の春に、最近とても手応えを感じている、バッハ・シャコンヌのマリンバ&弦楽合奏の本格的なレコーディングをしたいと考えてます。ベストなプロデューサー、ベストなコンサートホールで録音、ベストな弦楽器奏者、完璧なオーガナイズでやる!

そして、今年録音した挟間コンチェルトと弦楽とのシャコンヌ、そしてもう一曲(思案中)を収録した協奏曲だけを収録したアルバムをリリース予定、そしてClassical Compendiumのカテゴリーにばっちりハマるようにする!

やっぱり夢はグラミーノミネートです!

夫も相変わらず、毎朝の筋トレと毎日4時間以上の練習をルーティーン。
クラリネットを吹き続けている、彼を支えながら私も頑張ろう!エイエイオー!




応援してくれてる友人達やファンの皆様に感謝を込めて。

Love,MIKA

*そういえば今回の来日で特筆すべき事に、エレクトーンの第一人者である渡辺睦樹さんにオケパートを依頼して共演したこと。渡辺さんのお陰で、月刊誌エレクトーンに2度(本番前と本番後レポート)大きな記事を掲載して頂きました。ヤマハ講師(天草で最初のエレクトーン講師)をしていた叔母が大変喜びました。有難うございました。大感謝。





ついでにjaz'in誌の記事も!音楽ライター神野さんにも感謝。有難うございました。







コメント

このブログの人気の投稿

今年2024年来日スケジュールのお知らせ。

2024年始動!

カーネギーWeillホール公演11月5日(2015)